スポンサーリンク
数多くの美しい音楽を提供されている(アニメ「君と逢える約束の場所」も)
作曲家・プロデューサーのMARTHさんのYouTubeチャンネルで
屋久島に創られた楽園Lastra Muについて
秋山佳胤さんが語られているインタビューが載せられていました。
Lastra Twitterよりお借りしました
戦わない弁護士の秋山さんは医学博士でもあり、
不食の人として知られたこともあります。
最近は、神聖幾何学の作品を綿棒で創られ、その世界について
ご本も出されました。
今回のインタビューでは、
屋久島に創られたLastra Muという楽園についての話の中で
ご自身の神聖幾何学のモデルを参考に、非常に興味深い内容に
触れられています。
一部抜粋
567というものを使って繰り広げられている偽りのパンデミックだと私は思っています。
数字で言うと567 ご、ろく、なというのは…カタカナでナというのは十字なんですね。
それは調和した、合わせたという意味なんですね。5と6を合わせた数字、これがコロナの話になります。コロナ(567)と言うのは本来、癒しと調和が合わさった安定した形ということで理想形なんですね。で567というのは足し算すると18になりますし、これが実は1と8を足すと9で実はミロク(369)の数になっていることになります。
ま、弥勒の世が来るということ、これはですね、369というのが実は音で言いますと倍音の世界でして、その倍音のところというのはいわゆる普通の世界を越えて共振共鳴によって無限にエネルギーが増幅していく世界でございます。
その安定してしかも無限に増幅していく、発展していく、それが弥勒の秘密であって、フリーエネルギーの科学者であって有名なニコラ・テスラはその弥勒の秘密をですね、テクノロジーとして具現化した方でもありました。まさにニコラ・テスラの背後には神聖幾何学があって、その神聖幾何学というものが音であり、光であり、すべての実は波動と関連しています。
屋久島というところは水と言うものが最も美しい水であり、最も調和した水が豊富に、しかも滞っているのではなく循環しているという聖地であって、そのヤ―ク―の聖地にプラズマの研究所が作られ、またそこにLastra Muという楽園がこの度作られたというのも、これは宇宙の采配としか思えません。このLastura Muのムーと言うのはムー大陸とも関連しているとも聞いていますが、まさに私たちの地球、大昔は楽園だったわけですね。レムリア、ムー、アトランティスといいますけども、そのような記憶、歴史を踏まえて今があるわけです。
14:22
今この地球を見ると物質偏重、また私たち一人ひとりの欲がどんどん増大したことによる過剰な物質主義の文明がですね、行き詰って、このままの方向性で行くと地球が崩壊寸前であることは誰の目から見ても明らかではないでしょうか。ですけどもこれも、私たちの尊い教訓であり、経験にもし得ることだと思っています。この今の地球の現状というものから目を逸らさず、しっかりと自分の目で見つつ、そこで気づいたこと、自分で出来ること、そこにフォーカスして、自分が何をしたいのか、何をこの地上で表現したいのか、何を祈りたいのか、こういうことに向き合い、しっかりと取り組んでいくとですね、この地球がかつて楽園であった、その楽園の記憶というものを思い出し、今ここに再現することが出来るフェーズ、時代に来ていると私は思っています。この地球が環境破壊を経たうえで、更にその経験を踏まえて私たち地上にいる人類が大自然の恩恵で生かされている、大宇宙のエネルギーで生かされているということを思い出し、その一部として孤立したエゴとして生きるのではなく、全体の繋がった一部として私たちが役目を果たすならば、私たちの与えられている創造の力、この創造の力をまさに調和の方向に向けていけると思っています。
35:20
今この地上の文明が危機に瀕しているのは、私たち一人一人が孤立したものだという視点、その視点に捉われてしまった。で、私たちの個というもの、個というものが全体の中の個であって、全体と繋がりを持った個、この一本であればよかったんですけども。この個というものの拡大、自我の拡大というものに固執してしまったために、この全体との繋がりを忘れ、離れていってしまったんですね。その、今、自我の拡大から孤立、それが極まってしまったのが、この世の今の苦しみ、悲しみにつながっているわけです。で、その限界が来たところで、陰極まれば陽、陽極まれば陰と言われます通り、一つの状況が究極のところに極まってこそ、次の世界に移れるという、変容できるということが実は宇宙の法則でございます。
で、その時に自我の拡大というものを体現し、それが極まって味わい尽くした先にどうなるのか、それは自我の崩壊であり、でも自我の崩壊ということは一見破壊であり、苦しみのようにも思えますけども、自我の崩壊と言うのは全体性を取り戻す、自分の本当の命を思い出すことでもあります。
今、Lastra Muという楽園が地上で建設されているというのもですね、この地球が元々楽園だった。でも人類の自我が拡大に伴う営み、それが極まって破壊寸前なところに来た。かつてのムーやレムリアやアトランティスが崩壊した時のように、今もその崩壊直前に来ています。ですが、そのレムリアやムー、アトランティスの崩壊の経験を、今私たちは記憶に持っていて、それをそうなってはいけないという記憶も取り戻しつつあるわけですね。だからこそ、本当の私たち、自我の拡大ではなく、全体の中にある自我である、全体性の中の個である、全ては一体である、全ては一つであるということ、それを思い出す時期に来ていて、その思い出すために今のこの状況もありますし、その思い出すひな型の場所として、Lastra Muというひな型の楽園が作られたわけです。やはり、私たちが思い出すには、見本、手本となるものがあったほうが早いわけですね。思い出したものから、思い出したものを形として表現していく、その形として表現することによってバイブレーションが強まります。
私たちが実は調和を祈る、調和を願うだけで、意識の調和のエネルギーがエネルギー場として発信されていきます。それを更に言葉で、「私は調和を祈ります。」「私は愛しています。」「ありがとうございます。」このように愛や感謝の言霊という形で、言葉で表現することによって、頭で思っている意識想念で思っている愛や感謝の想念が更に強まります。更に私たちはこの肉体を与えられていますから、この地上でこの肉体を通じてそれを表現するときに、バイブレーションというものは更に強くすることが出来るんですね。
私たちがまず意識で愛を思い、次に言葉で愛を放ち、愛の言霊を放ち、更に身体で愛の行動をする時、その三つが重なる時、愛ということで貫かれる時に、実現できないことはない、といわれています。その三つの三位一体をお釈迦さまは身口意(しんくうい)というふうに表現いたしました。身口意というものは、しん(身)というのは身体、身体というのは行動を表します。く(口)と言うのは口、口と言うのは言葉、言霊を表します。い(意)というのは意識でございます。その意識、言葉、言霊、行動、この三位一体が3という形でやはり安定のものを生み出すわけですけども、その私たちが地上にいる肉体を持っていればこそ出来る私たちが、今地上でリアルに楽園を建設する時期に来ていて、その日本、ひな型としてLastra Muが楽園として屋久島に出来たということでございます。
まさに地上の私たちが痛み、悲しみ、苦しみの体験をしたからこそ、本当の意味で愛とは何か、調和とは何か、というものの知恵を得られたと私は思いたいと思っています。で、それを思い出した私たちからその行動を力強くする時です。Lastra Muという場所はそのことを思い出した人たちが、力を合わせて創った場所であり、これからもまた更に創って場所であり、今回Lastra Muでフラードームが創られたのも、人力で創られたということも、宇宙の大いなる意志があったと思います。なぜならば人が力を合わせて、調和をしなければ、創れなかった。その三角形という調和の安定の、調和の形、しかもそこに人の調和も加わった。でそれで調和の形、調和のコンサートホール、調和のスタジオが出来たということ、これはまさに地上の楽園のひな型、見本であったというふうに思っています。
さすがに、穏やかな語り口ながら力強く、
とてもわかりやすいお話と素晴らしいメッセージ
ご興味ある方は是非ご覧ください。
人力で建設されたというフラードーム。
Lastra Muについてもさることながら
秋山さんのお話しをうかがっていると
とても心洗われる想いになります。
今生、地球に生を受けた私たち、
この喧騒の世にあってこそ、
何はともあれ自身の波動を整え、行動するという原点に
立ち返ることを促された感じです💦
それが人類に壊されかけた地球の再建にもつながるのかもね。
↑以前の秋山さんの本について書いてます。
ちなみにMARTHさんの音楽については
森井啓二さんの記事でも紹介されています。
クリックしてね♪
ありがとうございます。